「空気読め」という言葉は嫌い

私は「空気読め」という言葉が嫌いだ。


私は、「日本人は「正しい・正しくない」よりも「皆がそうしている・いない」で物を考えている」という仮説を持っている。
この仮説が正しく、日本人がこのような物の考え方をしているとしたら、それは恥ずべきことだと考える。
私がこの仮説を持った原因は、

  • 乗客を海に飛び込ませる国民性ジョーク http://yellow.ribbon.to/~joke/tobikome.html
  • 広告や訪問販売の「もうみなさんそうしてますよ」「あなたはまだなんですか」という文句
  • 道路工事で片側交互通行の道路で、私が(交互通行を守って)自転車で車道を通行しようとすると、警備員が私に歩道を通行するよう指示した。私が、その歩道は自転車通行可の標識があるか(平成20年の道交法改正以前だったので)と確認すると、警備員は「みなさん自転車で歩道を通行なさっています」と答えた

などの経験である。


「空気読め」という言葉に従うことは、「正しい・正しくない」の判断を放棄し、「皆がそうしている・いない」に盲従することになる。
「皆」が間違っていたらどうする?


例。川崎駅周辺では、ざっと数えたところ、20人中1人しか、夜間に自転車のライトを点灯していなかった。川崎駅周辺では、ライトをつけずに自転車で走ることが「空気を読んだ行動」となる。が、無灯火は道路交通法52条違反であり、正しくない行動である。「空気を読む」ことに対する反例が示された。